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9月 25, 2008
» 読書: 最新脳科学が教える 高校生の勉強法

最新脳科学が教える 高校生の勉強法    東進ブックス 最新脳科学が教える 高校生の勉強法 東進ブックス
池谷 裕二

ナガセ 2002-03
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いやー、非常に為になった。
勉強のしかたって今まであんまり考えたこと無かった。
いや、うそ。
結構いろいろ勉強法は考えたり試したりしてきた。
でもあんまり効率の良い方法は編み出せていないのが現状。
もっと早くにこういったたぐいの本を読んでおくべきだったかな。

復習がやっぱり大切だ。
一ヶ月かけてやっと長期記憶に定着するらしい。
でも一ヶ月とか長期的な視点に立って行動するのはなかなか難しい(僕の場合)。
効率的な学習のためのフレームワークが必要なんだと思う。
そのための Web アプリケーションを作ろうと思う。

以下は著者が考える最も効率的な復習のプラン。

学習した翌日に、一回目
その一週間後に、二回目
二回目の復習から二週間後に、三回目
三回目の復習から一ヶ月後に、四回目

ふむ。

例えば、一ヶ月に一個か二個くらいの学習テーマを決めてみっちり勉強すれば長期記憶に残りやすいかな。
今は結構いろんな勉強をパラレルにやろうとし過ぎて結局どれも中途半端になってるからなぁ。
著者曰く、何でも詰め込もうとするよりもできる範囲でしっかりと、そして地道にコツコツと取り組むことが大切とのこと。
まあ、そうなんだよなぁ。
いろいろ手を出しすぎて結局どれもものにならないんじゃあ意味無いもんな。
二兎を追う者は一兎をも得ず、ですね。
学習のステップを細かく分けることも大切らしい。

あと、著者曰く「脳は疲れない」らしい。
なんとなく「脳が疲れた」とか思ったりしてたけど、目とか肩など脳以外の部分が疲れているだけらしい。

3月 17, 2008
» 出力ばかりだと

MORI LOG ACADEMY: 入力ばかりだと

面白いものはないか、楽しいものはないか、と大勢が自分の外部を探している。自分の内部を探す人は少ない。

入力ばかりだと - www.textfile.org

どうしたら、自分で考える習慣が身につくだろうか。…はい、ここがチャンス。まず最初に、「どうしたら自分で考える習慣がつくだろうか」の答えを自分で考えるところからはじめればよいのではないだろうか。

上記の記事について、ちょっと考えてみる。

まず、森博嗣氏のほう。
自分の内部を探してもおもしろいものなんてまず見つからない。
自分というのはそもそもそれほど特異なものではない。
考えてることなんてみんなだいたい同じ。
おもしろい考え・アイデアが自分の内部から勝手に湧き出てくるなんてことは絶対にない。
そもそも人間の脳みそはそんな不可解なものではないと思う。
今まで脳みその中に存在しなかったものが突然姿を現す、なんてことが起こるわけない。
にしても、自分が思っても見なかったようなアイデアを思いつく(ように思える)時も確かにある。
でもそれは「そんな気がする」だけ。
何かを思いつくためには絶対に外部とのインタラクションが必要だと思う。
人間の思考というものに対する考え方がちょっと短絡的だなと、文章を読んで思った。
「自分の内部」とか「入力」とか、そもそもそいう言葉が何を表すのかをちゃんと理解して文章を書いてるんですか?、と言いたい。
(ま、僕も言葉の用法に関してはかなり適当だけど)
こういう言葉につられる人は多い。
そういう人たちは、「自分の内部」とか「入力」とかいうものをただ想像してしゃべっているにすぎない。
それが何を意味するのかは本当には考えていない。
「他人とは完全に切り離された自分」という存在がどっかにあると思ってるんだろうな。
ま、それはいいや(僕もこのテーマについてはまだあまり考えまとまってないし)。
というか、「入力ばかり」であることについてどうこういうのは筋が違う。
(というか、入力ばかりでも別にいいじゃん、とか思った)
だいたいアレですよ、自分の考えてることなんてほとんど他人の真似でしかなんいんですよ。
他人の真似の寄せ集めこそが「自分」なんです。
他人の思考を足がかりにしないと人間は何も考えられない。
そういう意味で「入力」は必要というよりは、思考のベースになるものであるからして、必須なんです。
つまり、「出力」は「入力」ありきなんですよ。

次、結城浩氏のほう。
上記をふまえて。
「自分で考える」という思考様式があるんだと思う。
「自分で考える」ことができる人は、その思考様式を他人から学んでいるはず。

というわけで、とりあえず他人の真似から入ったらいいのではないでしょうか。
(何に?)

えーと、つまり何が言いたいかと言うと、「自分で考える」っていうのはそんなにとりたてて特別なことじゃない、ということ。
思考様式の一つに過ぎないんじゃないので。
「自分で考えない」というのも場合によってはアリだと思うし。

(終わり)

1月 6, 2008
» 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?

これ読みました(一ヶ月ほど前に)。

脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史
前野 隆司

技術評論社 2007-08-02
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かなり面白かったですよ。
哲学的な要素が多かったです。

哲学者との対談なんかも載っていて、それがすごく面白いんです。
斎藤慶典っていう人と、河野哲也っていう人との対談がそれぞれ収録されています。
で、その二人の哲学者の主張が意味不明で面白い。
論点見えなさすぎ。
聞き慣れない言葉とかよくわからない概念を持ち出してきて自己主張しようとするんだけど、僕にも著者にもうまく伝わってない感じ。
なんかこう、科学に対する警戒感がヒシヒシと伝わってくる気がしました。
科学が全てではないことを必死になって主張しようとしているように見えましたね。
あと、河野哲也のアフォーダンスの話はほとんど意味不明でした。
哲学者ってみんなこんなんなの?
著者はよくこんなわけのわからない主張をする哲学者との対談に付き合ってられるなぁ、と関心しましたよ(ちょっと言い過ぎかな)。

ま、それはいいとして、著者が本書で主張しているのはつまりこういうこと。

自由意志は物理世界には存在しない。自由意志は私たちの知覚の中に現象として出現する。私がそれを自由であるかのように認識するから、私たちの共通認識に従ってその機能を自由意志と呼ぶと定義されているにすぎない。

僕もそう思う。
本当の意味での自由意志と言えるようなものは物理的に考えて存在しない確率が高い。
でもだからといって悲しむ必要もないし喜ぶ必要もない話ではある。

その他、興味深いと思ったところ。

ところで、宗教は、悟り型、救い型、つながり型に分けられると言われる(脇本平也『宗教学入門』講談社学術文庫)。

へー、そういわれればそんな気も。

ヒュームは、「自由」という言葉の定義のあいまいさが、自由意志の問題を複雑にしているという。

うん、確かに。

私は心身一元論に立脚し、脳のニューラルネットワークによって、(幻想であるところの)意識の現象的な側面が作られていると考える。心身一元論に立脚するか、二元論に立脚するかは一種の信念である。

「信念」か。
まあ、そう言うしかないのかもなぁ。

そういえば、ウィトゲンシュタインはこんなことを言っていた。

そもそもわたしが何を信じ、何を確信するか、それが私の思い通りになるだろうか。

この洞察はかなり重要ですよ〜。

あと、本書で紹介されていて面白そうだから読んでみようかなー、と思った本。

なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎 (日経ビジネス人文庫) なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎 (日経ビジネス人文庫)
ダニエル・L. シャクター Daniel L. Schacter 春日井 晶子

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8月 6, 2007
» もしかすると、実際の文法の「ルール体系」って一つだけじゃないんじゃないでしょうか

できれば毎日更新したいなぁと常々思っているんですが、みんさんいかがおすごしでしょうか。
認知意味論って知ってますか?
今こういう本読んでるんです。

認知意味論のしくみ (シリーズ・日本語のしくみを探る) 認知意味論のしくみ (シリーズ・日本語のしくみを探る)
籾山 洋介 町田 健

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この本の初めのほうを読む限りだと、認知意味論ってめちゃくちゃつまんないですね。
言葉で言葉を説明しようとして、自らすすんで罠にはまってるような印象を受けます。
気付いたらどうでもいいようなことばかり喋ってる、というような。

ま、でも文章は読みやすいですけどね。

しかし、「意味」って難しいですね。
いや、難しいなんてもんじゃないですね。
意味わかんないですね。
「なぜ意味が生まれるのか」というのも難しい問題ですが、「なぜそれがそういう意味をもつのか」というのもかなり難しい問題です。

話は変わります。
文法の話。

文法についてはいろんな理論があるようです。
いろいろありすぎて、わけがわかりません。
本を読んでもほとんどが意味不明です。
実際のところ、「理屈としてはわからなくもないけど本当にそうなのかはわからない」というような理論だらけなんじゃないでしょうか。
いろんな人がいろんな理論を組み立ててますが、いったいどれが正しいんでしょうか。

ふと思ったのですが、もしかすると、実際の文法の「ルール体系」って一つだけじゃないんじゃないでしょうか。
つまり、複数の「ルール体系」が並存しうるんじゃないかと。
例えば、それぞれの脳によって採用されている「ルール体系」が違ったりするんです。
グループ間や世代間で違ったりするわけです。
時間が経つにつれ、その「ルール体系」が変化し、それによって新しい表現が生まれたりするんじゃないでしょうか。
「ら抜き言葉」とかも、そういうことなのかも。

あー、ていうか、この程度のことなら他にも同じこと考えてる人がいるだろうな。

8月 2, 2007